恋のドアを開けたらそこは天国でもあり奈落の底でもあった話

 

少年倶楽部のメクルメクを1日5回は見ないと生活できない体になってきています!!!!

 最初に書いた記事をえび担の方がツイッターで紹介して頂いたことで、想像以上の方に閲覧して貰うことができ、驚きを隠せません。ネット社会すごい。ツイッターすごい。えび担の愛がすごい。本当にありがとうございます。

 

erkr17.hatenablog.com

 

最近は本当に毎日彼らのことを考えている。なんなら大阪公演のアリサマに行かなかったことが最近の1番の後悔だ。そのときはまだえびのことは知らないので行けないのも当たり前だけれど。何故アーリーなサマーにコンサートを行ったのか小一時間問い詰めたい。アーリーじゃないサマーにしてほしかった。私も行きたかった。バンド、アイドル問わず生に勝るものはない。この目で観たかった、感じたかった。2番目の後悔は私が転がり落ちたきっかけであるCDTVのワンカメメドレーを録画していないこと。あれだけ絶賛しておきながら録画していなかったのだ。どれだけ私があのときノーマークであったかがわかる。今思えば浅はかな判断だった。

いろんな方のブログを読んでいると過去のえびのことが書かれていて、後戻りしていろんなテレビを見たい気持ちに襲われている。今一番欲しいのはいろんな段階をすっ飛ばしてワーホリのDVD。デビューDVDよりもいろんなCDよりもワーホリDVD。どう考えてもお値段以上の香りしかしない。

 

 

しかし、これだけ転げ落ちていながら、ワーホリのDVDが欲しいと言いながら、まだ彼らに課金したことがない。自分で使っておきながら課金という言い方もどうかと思うが、今まで応援しているものにはお金を使いたいタイプなので、ライブにも足を運ぶしCDも買うし存在するならファンクラブにも入る…という使い方をしてきた。しかし、今A.B.C-Zというまごうことなきアイドルにお金を使うにあたってまだためらいがある。なぜためらっているのかを考えてみた。

 

・CDはアイドルの副産物だと思っている

私が今まで買ってきたCDの多くは、ミュージシャンとして彼らが作詞作曲表現し、形にしたものだ。そのため彼らの生産物として最たるものがCDであり、自己表現の作品でもある。その点、アイドルはパフォーマンスやメディアへの露出の優先順位が高く、そのために楽曲を使うというイメージが強い。誰かが作詞作曲をした楽曲で、本当そう思っているのかわからない言葉を歌う、ということに疑問を感じている面もある。また、「これはないだろう」と思った妙な楽曲があったことや、カノンコードを使いまくることでスナック菓子のようなインスタントな曲になる印象もあり、アイドルの歌に対するイメージはそこまで高くない。正直、良いと思ってもレンタルやダウンロードで十分で、CDとして部屋の一角を陣取るほどではない、CDを買うという最も高価な楽曲の入手の仕方をするほどではない、と思うことが多かった。

しかし、A.B.C-Zはジャニーズの方針でもあるようにダウンロード販売はしていない。曲が聴きたいなら、レンタルか購入かの二択になるが、ここまで転がり落ちた身としては是非お金をかけて応援したい思いがある。

そしてなにより、楽曲の良し悪しとは別に、「好きな人たちが歌っている曲」というだけでその曲が持つパワーは凄まじい。

 

・買わないCDの選択をすることで目に見えて逃している情報がわかる

アイドル界隈においてCDが発売されるとき、多くは初回盤AB通常版の3つで内容の微々たる差別化が行われている印象がある。そして私はこのやり方が好ましいと思っていない。確かにこのCDが売れない時代で枚数稼ぎの手法という点では有効で、握手ができる某グループほど露骨ではないかもしれないけれど、何かあくどい商法のように感じてしまうのだ。特典のためだけにほぼ同じ内容のCDを、普段買っているCDより高い値段を出して何枚も買うことはできないと考えてしまう。もう1枚このCDを買うお金があるなら、インディーズのCDを何枚か買った方が、小さい会場でのライブに行った方が費用対効果が高いと感じてしまうのだ。応援したいという気持ちはあれど、「私がここで複数枚買うことによってランキング入りに貢献できる!」と思って何枚も購入できるほど金銭的余裕もない。そしてなにより、初回AB通常のうち1枚買う選択をすることによって、その他のCDについている特典、その微々たる内容の差の情報を取りこぼしていることが目に見えてわかるということが悔しい事実となるのだ。それはテレビの録画を忘れた時より、コンサートのチケットが外れた時よりも恣意的に行った選択であるということが重くのしかかってくる。中途半端に手を出すくらいなら潔く手を出さない方法もあるのではないか、と考えるくらいに。

 

・飽きた時を想像すると怖い

私が今一番懸念しているのはこれだ。自分が熱しやすく冷めやすいという性格を自覚しているところもあり、ここで迂闊に手を出して後から後悔することはないだろうか、と考えてしまう。そして、私は後悔するか?と問われ、しないと答えられるだろう。今好きであることに間違いはないのだから。しかし、私にはかつて嵐にハマっていた妹がいる。わざわざ大晦日に喧嘩までして録画しているカウコンを大きいテレビで見たがっていた彼女が、ドラッグストアでアルバイトをしている家族のコネを使ってニノのパネルを入手してきた彼女が、数年後嵐のファンをあっさりとやめるところを目の当たりにしている。あんなにテレビに張り付いていた紅白やカウコンは録画どころか視聴も危うく、CDは売るわ、グッズはあげるわで今までのお金の使い方はなんだったんだと傍目で思っていた。私はこうなるのが怖い。今まで大事にしてきたCDに、DVDに、グッズに、何の価値も感じなくなるかもしれない自分が怖い。

あんなに常に誰かがテレビに出ている、学校で言うところの同じクラスの子に片思いしているくらいの頻度でお目にかかれる嵐のファンでさえあっさりやめてしまうのだ。隣の学校の人に片思いしているようなテレビの露出度の彼らを、私はずっと好きでいられるのだろうか。

 

A.B.C-Zに転がり落ちたことで彼らへの好奇心が絶えず、毎日が楽しくてたまらない。彼らを追いかける今の日々が天国であることには変わりないが、その反面こんな悩みが生じるとは思っていなかった。きっとお金を出して応援しだすともう戻れない。奈落の底まで転がり落ちるに違いない。